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ジョグジャカルタの旅行会社です。インドネシアのバリ島&ジャカルタから飛行機で1時間。ユネスコ世界遺産 ボロブドゥール、プランバナン、サンギラン。ディエン高原、ソロなど中部ジャワ島各地への現地発日本語ツアー、ブロモ山観光、ホテル予約、インドネシア語学留学、ホームステイなどお手配致しております。お気軽にお問い合わせください。

ジョグジャカルタ特別州
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asita

2006年5月27日−6月05日[地震編]

2006年6月5日  10日目

今朝はこれまでとは違う方面からの援助物資配達に参加。配り切るのが大変なのだろう、と思いこんだ私は、車出しますよ〜。と申し出たのですが、大きな勘違いをしていたようで首をつっこんだことに大いなる反省と後悔。これまでとは配り方が全く違うので、同行して頂いた方に配分など一切を取り仕切って頂きました。暑かった。

午後からちょっとメールを書いたあと、また配達へ。地元お金持ちからの山のような援助食料をプランバナン南側で配る。こちらはとにかくドンドン配ってきて!という趣旨なので何も考えずドロップするだけなので気楽です。唯一の条件は、支援者名を被災者に伝えること。


2006年6月4日  9日目

なんだか疲れがたまってきたので、配達は運転手さんだけに任せ、今日はゆっくりさせてもらう。午後から息子の教科書を受け取りに友人宅にお邪魔したり、のんびり日曜日でした。

2006年6月3日  8日目

今日が町内会の炊き出し最終日。フンパツして鶏肉で〆ることとしました。

地元のお金持ちが山ほど援助物資を購入しているものを、先日から配るのを手伝っているのだけれど、今日もそれで一日が暮れていきました。援助を出しているお金持ちの車は高級過ぎて道路の悪い村へ入っていくのはちょっと・・・な状態なもので、ウチのたいしたことない車で配るということです。


2006年6月2日 7日目

プラオサンのDさんにはまだ会えず。

朝、ウィドドが電話してきた。クラテン県の幹線道路南側一帯の村では、地震後、停電したままで、村で唯一の明かりであったランタンが昨夜壊れてしまったので、ジョグジャで探しておいてほしいという。ジョグジャの街をランタンを探しながら北から南へ。ようやくプロゴという中央市場隣のスーパーにてトラックからまさに今降ろされているランタンを確保。近所の村も同じような状況だというので可能な限り購入。といっても所持金では5つしか買えなかった。

村はプランバナン寺院をソロ方面へ10キロ、砂糖工場のあるあたりから幹線道路をはずれて、車がやっと通れる幅の道を南へ5キロほど入ったところ。このあたりはジャワでありがちな田園地帯ではあるが、地場産業としてタバコ産業があり現金収入が得られるため、一般的な農村に比べ若者が多く村に残っている。

日課となった町内会の炊き出し用買い物をしてから、ウィドドの村へランプを届けることにした。せっかくまだまだ荷物が積めるので、ジャワ人の大好物である甘いジャワティー用の砂糖とお茶葉。鶏唐揚げ弁当を75食。インスタントラーメンを6段ボール積んで出かけました。道の状態がイマイチ把握できないのでとりあえずウチで一番小さい車ジムニーでGO。

ウチからは約40キロ。普段なら車で1時間。幹線道路から南へ入るところまでウィドドに迎えにきてもらう。でないと同じような風景の曲がりくねった小道が続くので、村まで辿りつけないのです。

道端では援助物資を自分たちの村でおろしてもらおうと、その辺の住民がそれぞれにアピールしています。地震後すぐのときは、こうやって幹線道路近くの人たちによる援助物資の強奪に近い要求により、幹線道路から離れれば離れるほど物資がいきわたらなかったそう。

道すがら、全壊&半壊した民家があちこちに。ようやく村へ到着。一村全体、周辺の村同様、壊滅的打撃を受けています。ウィドドの家も。村では3名の方が命を落とされたそうです。ご冥福をお祈り申し上げます。

荷物をおろしていると、インスタントラーメンだけは地震3日後に政府の配給が届いており、その後毎日食べているので、これはもっと奥の村へあげてもいいか?と聞かれる。山の向こうにもたくさん村があるのだけれど、4輪車ではアクセスできないのでバイクで届ける、と南側に広がる山を指差すウィドド。もちろん良いですが、自分たちでストックしておこうとか思わないとこが偉すぎる。まあ、この村では若者が多く、お金さえあればバイクを飛ばしてジョグジャやソロへ買い物へ行けるし、ということもあるのでしょうが・・・豊かです。

足りていないものはまだまだたくさんあるのだけれど、雨よけと日よけを兼ねたテント、もしくはその代わりになるブルーシートが最も必要とされています。夜寒いので毛布というかタオルケット、地面にひくゴザなど、壊れた家に代わって身体を休めるための場所が必要です。お米やインスタントラーメンは少しづつ配給されているところもあるようですが、村人は口を揃えて「甘いお茶が飲みたい!」と。

道路の確認もでき、なんとかマイクロバスでも途中まで行けそうなことが判明したので、明日以降も、エンジェ号で物資を運びます。村の若い人たちに手伝ってもらい、なかなか援助の届かないアクセスの悪い もっと奥の村へ援助物資をバイクで運んでもらう予定。

なお、募金先のお問い合わせをたくさん頂いておりますが、エンジェでは募金などのお金を一切お預かり致しません。申し訳ございません。どうしても援助先が知人がらみに偏ってしまい、公平さに欠けるため心苦しいのです。ご寄付の予定のある方は日本赤十字などオフィシャルな機関へお願い致します。 ただ、エンジェが超微力ながらも被災者に援助を届けることができるのは、これまでエンジェをご利用下さったお客様、エージェント様のおかげです。皆様のご厚意に感謝です。

2006年6月1日 6日目

町内会の炊き出しをのぞいてから、今日はプランバナンへ行ってみた。地震翌日とは異なり、係のおっちゃんたちも元気にご出勤。外国人入場券販売所では屋根の内側パネルが落下していたものの、以前、JA佐久浅間さんが寄付なすった案内板も無事でした。 ステッカーの色が褪せていたので、送って頂ければ貼りにいきますよ。Y沢さん。。。


28日より近くから遺跡をみたわけですが、見れば見るほど可哀相なことになっていました。「やっぱり神様は住んでるんですよ。シバ堂は破壊の神様だから壊れてないじゃん」とジャスがつぶやいておりました。確かにメインのシバ堂は全方角から見てみましたが、外観からは壊れた箇所は確認できませんでした。神様いるっぽいです。


プランバナン周辺の特に小さな寺院へは何かにつけて出かけているので親しみ深く、知人友人も近隣にたくさん住んでおり、我々にとっては特別な場所です。プランバナンを見て、セウ寺院もプランバナンレストランの人たちも無事だったのを確認してから、プラオサン寺院のDさんを訪ねてみた。

寺院前に建っているポスコと呼ばれるテントにプランバナンの駐車場係のお兄ちゃんがいたので尋ねてみたところ、Dさんは、地震当日、全壊した自宅の下敷きとなり頭から血を流してたぶんサルジト病院に運ばれていった。とのこと。 プラオサン寺院の北堂も壊れている。中の仏像が無事だといいのだけれど。

他の友人を訪れるのはまたの機会にしようかと思ったけれど、もう2人だけ顔をみておきたい人がいたので、別の寺院にも寄ってみたら、ここはふたりとも無事でした。ご家族も無事だったそうで良かった。この後、サルジト病院へ寄ってみたけれど、Dさんの手がかりはなく、しかもこども連れで寄る雰囲気の場所ではなかったし、元気な自分たちは邪魔になるだけの気もしたのでウチに戻りました。また明日探す。

2006年5月31日 5日目

午前中から買い物に出かける。ヘロ・ゴデアンへ行ってみた。普段満杯の商品棚もかなりスカスカではあったが、モノは十分ある。近所の伝統市場では販売されていないロングライフの輸入牛乳などをまとめてお買い物。ジョグジャ西部には地震後はじめていってみたが、被害は北部同様少なかった。

2006年5月30日 4日目

体感する余震も発生しなくなったので、息子の様子も落ち着いてきた。今日は近所同士で壊れた屋根をなおしたり、余震が来たら倒れそうな塀なんかを近所同士が協力して交代で修理して一日が終わっていく。気が抜けたのもあり、何かしたようでしなかった1日。でも奥さんたちによる炊き出しは今日もあった。

コタグデにある銀細工店の若旦那・ウジャンが電話してきた。昨晩コタグデで5人も泥棒を捕まえた、とのこと。スマラン(ジョグジャから車で3時間ほどの街)など近隣の町からワンボックスカーでやってきて、道端にドロップするシステムで、被災地に泥棒が配られているんだそう。なんて恐ろしい畜生がいるんですね・・・こんなときに。

2006年5月29日 3日目

この日、お見舞いのメールをたくさん頂く。日本での報道ぶりが想像できる。皆様にご心配おかけして申し訳ないので、できる限りのメールに返信してから、また近所へ炊き出しの手伝い。 といっても材料代を出して市場での買い物の手伝い。そのあとは新聞紙切りしかできないのでした。

それにしても、ウチの近所がすぐに炊き出しをしていたのには実はわけがあって、町内会長の親戚がバントルにいて、地震のものすごさと家屋が全壊して飲み物も食べ物もまったくないことが当初から伝わっていたかららしい。ウチの町内会の炊き出しは直接その親戚の方のいる村とその周辺へ配られた模様。

夕刻過ぎ、暗くなってからガルーダ便が着陸体制で飛んでいるのがみえる。もしかして民間機発着開始か?と思い、空港へ電話してもらったら、飛んできたのはジャカルタ発のGA212便。ということは空港も本格始動開始というわけで、案外復興が早い。


2006年5月28日 2日目

朝起きてニュースを見ると、バントル県とプランバナン周辺がひどいことになっているという。心配でプランバナンレストランの人や遺跡勤めの友人に電話をしてみるが、全く通じない。

状況がつかめないので、ちょっと自分で出かけてみた。ウチはジョグジャ北部なので今回は被害が少ない。とはいえ、田んぼから家を眺めてみると屋根瓦がボロボロに剥がれ落ちていた。したら、近所の奥さんたちがごはんを炊いていて、なんでも南のバントルのほうがひどいことになっているので、炊き出しをするのだという。現地ごはんの炊き方はわからないし、おかずも作れない。包装用のバナナの葉っぱ&新聞紙切りを手伝う。

炊き出しが一段落ついて、家に戻りメールチェックをしてからちょっと街へ。ウチからガジャマダ大学あたりまでは大きな被害はなかった。が、南へ行くにつれてあちこち壊れている。王宮は全壊の建物があるし、水の宮殿もあちこちひびわれ、おまけに裏の展望台あたりはもうボロボロに崩れ落ちている。

南から進路を変えて東へ。プランバナンの被害がひどいというので行ってみたが、遺跡の門は閉まっており、普段は笑顔で迎えてくれる係りのおっさんたちは誰もいない。駐車場で物売りをしている顔見知りのおっちゃんに聞いたところ、地震のあとはクローズしているという。柵の外から見ても、てっぺんあたりが崩れているのがわかる。

夕方から大雨。雷も強烈。

2006年5月27日 M 5.9

05:53 揺れで目が覚めた。朝6時ちょっと前。あわてて息子を揺り起こすが、咄嗟のことにわけがわからないままにソファーの陰にしゃがみこんでいた。揺れがおさまり、何はともあれ2階から息子を庭へ避難させていると、スタッフのレマンが血相変えてやってきた。ジャスがプルウォクルトへ出かけており留守だったので、心配してとんで来てくれたらしい。

06:30 もう一度2階へ戻り、ネットでニュースをチェックしようとしたが停電。このときはまだ、こんな大事になってるなんて思っておらず。バリの友人に携帯メールを送ったのだけれど、「ジョグで地震がありましたがバリは大丈夫?こっちは震度2くらいかなあ」などとまったく的外れな私。

07:00 ジャスの母親から電話。屋根瓦が全落ちで台所や便所が壊れたけど、そっちはどう?と聞かれるが、何しろ震度2とか思っているくらいだったので、別になんでもないっす。と答える。ジャスの両親は王宮から真西にちょっとのところに住んでいるが、家は古くぼろいからそんなもんだろう・・・と思っていた。

07:30 今日は幼稚園が午後からマーチングバンド大会で午前は休みということだったので、ゆっくり朝ごはんを食べたりしていると、ジャカルタの師匠、Nさんから携帯へお電話を頂いた。奥様がバントル県ご出身で、先ほどの地震でものすごい被害が出ているので気をつけて、という内容だった。Nさんは少し何かあるといつも真っ先に気にかけて下さる。ありがたい。ダウンしていた電気も固定電話も復活。

08:00 Nさんからの電話でコトの重大さに目覚め始めた私。ジョグジャ市内南部に住む先輩主婦Cさんに電話してみた。Cさんご家族はみな無事だったが、ポジョッベンテンクロンが壊れてて南はかなり混乱してるで、プラウィサタであるマーチングバンド大会なんて絶対そんなん中止やって、と言われる。かなりやばいらしいので、慌てて身近な友人にSMSや電話で連絡をとってみると、みなほとんどOKだったので少しほっとする。

09:00 総領事館から安否確認の電話を頂く。まじで一大事なのだと悟り、ジャスに電話してみたが、なんと奴はプルウォクルトからジョグジャとは反対方向の西ジャワ方面へ向かっていた。すごいことになってるらしいぞ、と伝えるが、「じゃなるべくはやくしごとおわらせます」とまだ半分笑っている・・・

10:00 家の前の道がやたら騒がしく大渋滞。ウチから北へ向かったってメラピ山があるだけなのに。。。口々に「ツナミ」「バンジール(洪水)」などと言っているではないか。しかも皆さん必死の形相なので、冗談ではないらしい。実は南のCさん宅あたりでも8時過ぎからそういう状態だったらしい。

12:00 1時間に一回ほどある余震にびびりながらメールとチャットで情報交換。2階から余震のたびに息子を外へ出すのは危ないので、庭に蚊帳をつってマットレスを出して息子のゴロゴロスペースを作る。テレビもついでに庭へ出す。

午後 かかってくる電話の対応とメール書きで精一杯のところ、たまに来る余震にびびらされる。かと思うとネズミが屋根を走る音もなにもかも、揺れをともなう音にビクビクしながら午後を過ごす。日本の実家から電話。一応、弟のメールに無事の連絡を入れておいたのだけど、見てなかったらしい。

20:00 雨が降ってきたので仕方なく息子を車に寝かせることにする。夜中になってからジャス帰宅。入れ替わりにクラテン県出身のスタッフ・ウィドドが実家へ向けて出発。ウィドドの家は全壊。村中全滅だが家族は無事。良かった。大変な一日が終わる。

ここから下はトップページに掲載していた速報です。

5月30日ジョグジャ空港、朝から民間機順調に発着しています。

5月29日夕刻、ジョグジャ空港復旧。民間機着陸しはじめました。

5月29日17:00またもや大雨が降ってきてしまいました。雷もすごいです。

5月29日午前10時過ぎ空港いったん使用可となるものの、結局、民間機は本日もソロ発着でした。修復が完了していない模様です。

5月28日夕方から雷をともなう大雨。29日明け方まで一晩中降りつづけました。屋外のテントで夜を過ごす被災者の方が気の毒です。

5月28日12:30過ぎ、今日初めての体感する余震発生。

5月28日、2,100メートルの滑走路のうち、1,400メートルを使用して救援物資を積んだ軍用機のみが着陸している。本日夕方より滑走路復旧工事を行い、明日月曜日には民間機が離発着できるよう今夜徹夜の突貫工事予定だそうです。

5月27日午前5:53にジョグジャカルタとその周辺を襲った地震ですが、本日5月28日は体感できる余震もなく、小康状態を保っております。たくさんの皆様にお見舞いのメールやお電話を頂きました。お心遣いに感謝致しております。

ジョグジャ南部バントル県、ならびにプランバナン周辺から東のクラテン県を中心に建物崩壊をはじめ多大な被害が出ております。亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。

ジョグジャカルタ・アディスチプト国際空港は5月28日午前の現時点では閉鎖中です。滑走路が壊れており、また管制塔が正常に機能しておりませんため、復旧の見込みはたっておりません。
現在離発着しております小型機は、すべて軍や政府関係のフライトです。
昨夜27日のGA254デンパサール(バリ)行きは、隣街ソロの空港より離陸致しました。

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